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細胞を活性化するモノ

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始皇帝の背中

 東京国立博物館で開催されている特別展「始皇帝と大兵馬俑」をみてきた。

www.tnm.jp

ざっと、始皇帝と秦の歴史を振り返ると

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始皇帝は13歳で辺境の一小国だった秦の王位を継ぎ、39歳で中国統一を果す。それ以後、皇帝を名乗り、字や単位、貨幣の統一などを行い国の基盤を整えた。

・政治では、地方の領主に土地を与え統治させる封建制から、中央集権による郡県制に変更。能力による人材登用を行った。

・中央で指揮をするだけではなく、自ら全国を巡行して国内の安定を図った。1度の巡行に1年を費やすこともあり、亡くなったのは4度目の巡行の途中だと言われている。

始皇帝が50歳の若さで亡くなったその3年後、秦は滅亡した。

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始皇帝は明らかにワーカーホリックだ。

中国統一を成し遂げているくらいなので優秀なのはもちろん、働き者、いや働き過ぎの完璧主義だ。

39歳で統一を果たしてから、それ以降の中国の礎となるような多くの政策を敷きながら、全国を巡る。いったいどうやったら、そんなことができるんだ?そりゃ50歳の若さで死んでも不思議はない。

巡行の間、何度も暗殺されかけているが、それでも巡行をやめなかった。数年前まで敵国として戦争していた地域に行っているのだから、身に危険が迫ることくらい分かっていただろうが”自分が実際に行くことに意味がある。それが国の安定化につながる”と強く信じていたのだろう。こういう行動をみると、国民の平和な生活を願っていた無私の人のように見える。

 

しかし一方で大規模なお墓、始皇帝陵を建設させている。これは、中国を統一する前から始められており、ピラミッド型のお墓の周りには、死後の始皇帝が生活するための宮殿まで作られている。

造らされている人からすると、自分たちにとっては何の益もないもののために重い労役を課され、始皇帝は暴君にみえるだろう。

 

そして、今回の展示の目玉である兵馬俑も、始皇帝の死後の生活のために用意された、兵士と馬を模した埋葬品だ。

兵士は1体1体、顔も体つきも体勢も身に着けているものも違い、それぞれにモデルがいると言われている。それが8千体あるというのだから驚きだ。

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それだけではなく、自分が巡行で使っていた馬車(こちらは1/2サイズ)も残している。 そこまで完璧に模して、天国に連れていきたかったのか?

 

始皇帝は知っていたのかもしれない、国を安定させるには、この世の寿命では足りないことを。そして自分以外に、国を安定させられる人はいないことを。

だからここまで精密に準備をして、あの世からも国の安定を図れるようにしたのかもしれない。

 

そう考えると、始皇帝の必死さが伝わってくる。

おそらく自分の時間なんてなかっただろう。

何を楽しみに生きていたのか?

今回の展示からみえてくる始皇帝は、人に頼れない孤独な背中をしていた。

 

#頑張りすぎの背中には活性化せず