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細胞を活性化するモノ

たまに活性化しないモノ

諦観

中国ドラマ「風中の縁」、視聴完了。

何ていう終わり方・・・

 

全何話なのか認識せずにみていたのだが、残り3話と知った時点で

全然物語が収束していない。

どうするんだこれ?と思ったら

本当にどうにもならなかった。

 

とっちらかったまま終わったわけではない。

ただ、無理やりハッピーエンドにするわけでもなく

「これが人生だ」と言わんばかりの放置っぷり。

 

大陸ドラマのなんとほろ苦いことか。

 

私の大陸ドラマ経験は、3作品。

内2作品がトンホアの原作なので、大陸ドラマがほろ苦いというより

トンホアがほろ苦いのかもしれないが

大陸のドラマには”諦観”を感じる。

戦っている最中は汚いくらいに策を講じるが

決着がついてからの諦め方が潔い。

 

このあたりは、”恨”をベースとする韓国ドラマとの違うところだ。

韓国ドラマは、負けたら恨み復讐する。

復讐がテーマのドラマがなんと多いことか。

 

国による感情の持ち方というのは

歴史によるものなんだろうな。

 

中国の諦めの良さは、いくつもの王朝が、民族が栄えては滅び

勝つこともあるが負けることもある。

そのなかで、負けても生きていくための知恵のような気がする。

 

しかし韓国は、隣接する大国に従わなければならないことが、

隣国にはけっして勝てない中で国を存続させていかなければならないことが

恨みの感情となって蓄積されてしまったのか。

 

それに比べて、日本のドラマの何とお気楽なことか。

なんて考えていたら、ほろ苦ドラマが。

 

「私を離さないで」

www.tbs.co.jp

 

イギリス国籍のカズオイシグロの原作なので、

日本のドラマと言っていいのか微妙なところではあるが

原作とはラストが違っていた。

 

原作は不親切なまでに、淡々と終わった。

あきらめる、受け入れる。

中国の諦観のように。

 

しかし、ドラマでは苦しみながらもあきらめて受け入れるが

それでも前に進む。

そんな印象をもった。

 

日本人は、諦めの悪い国民なのかもしれない。

あさも「九転び十起き」って言ってるし。

 

そういえば「諦観」という言葉を調べてみると

1 本質をはっきりと見きわめること。諦視。「世の推移を―する」

2 あきらめ、悟って超然とすること。「―の境地」

 

と出てくる。

2の認識しかなかったが、1の意味もあるんだな。

 

諦めという言葉にはあまりよいイメージを持っていなかったが

我を捨てて、力が抜けた状態なのかもしれない。

 

そんなことを考えた。