細胞を活性化するモノ

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自分でジャッジすること

以前、「他人の感情を自分の感情だと思っている」「ジャッジする権利が自分にない」と指摘されたことがある。

 

思い当たる節はあり、これからは他人の感情に巻き込まれないように気をつけなきゃなー。と思っていた。

 

しかし最近起こった出来事で、”他人の感情に巻き込まれている”のとは少し違うということに気がついた。

 

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Aさんが、Bさんに舞台のチケットを数枚譲る。Bさんが複数の人にそのチケットを譲り、私にも声がかかり1枚回ってきた。

チケット受け渡しの際、Bさんに「Aさんはチョコレートが好きだから」と言われた。

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この時、心がざわついた。

「お礼を要求するんかい!自分でチケットを買うほど観たい舞台じゃないし、タダなら行ってみたいなーくらいだったのに、なんだか興ざめ。以前別の舞台のチケットをもらった友達は、お礼を要求された話ししてなかったのに、今回だけか?なぜ?チョコか。最低でもゴディバレベル。友達と二人で3000円くらいかー」

と心の中で悪態をついた。

 

しかし大人としての理性が

「立派な箱でやるいい舞台のチケットをタダでもらってるんだから、それくらいのお礼するのが礼儀でしょ。BさんもAさんにお礼しなきゃいけないんだろうから、Bさんの顔をたてないとね。」

とBさんの立場にたって擁護した。

他人の立場をオモンパカレル立派な大人だ。

 

「チョコレート、了解」と心に置き、一緒に舞台に行く友人にその旨を伝えた。

 

「そういうことなら、Bさんんはチケット回す前に”お礼してね”って言うべきじゃない?」

「自分からお礼を持って行くならいいけど、Bさんから請求されるのは違うんじゃない?」

という友人。全くその通りだ!そうだよね~。私もモヤモヤしてたんだよ~。

と思いながら、あれれれれ?

不満があったのになぜ言わんかった?なぜスルーした?

 

自分の心がざわっとしても、他人が言うことを飲み込む。

心の素直な反応を、理性で抑え込む。

ということが癖になっていた。

 

「ジャッジする権利が自分にない」

と言われたことがようやく腑に落ちた。

全然、自分でジャッジしてないもんな。

 

理性の言うことも一理ある。しかし、感情を黙殺して言われたことに従うのは違う。

 

あー、今頃こんなことに気づくとは。

しかし、今気づいてよかった。

 

気づかせてくれた、出来事と友人に感謝なのでした。

ありがとう。